仕事と禅 非思量という禅 無意味と意味とは?
禅を学んでいると、「非思量」という言葉がよく登場します。
非思量とは、辞書を引くと
「すべての相対的な観念を捨てた無分別の境地。坐禅の要とされる。」
とあります。
最初、禅のお寺に行ったときには、
「心を空っぽにして、考えることを離れなさい」と言われました。
しかし、考えることを止めようとするほど、何かを考えてしまう。
結局、坐禅がさらに難しくなりました。
あるとき、別のお坊さんから、
「考えていることを受け入れたら」と言われました。
考えてもいいのだと少し心が楽になりました。
考えていることも含めて、
自分の状態を少し自然体で受け入れられるようになったかもしれません。
人間は、常に自分の頭の中で物事を意味づけし、判断しています。
良い、悪い、正しい、間違い、適切、不適切・・・
意味づけしていることをまずは知ること。
ある日、一つの意味づけが大きく自分の心を
揺るがせていることに気づきました。
価値があること=意味がある
価値がない=無意味
意味がない人生を送りたくない。
早く自分の価値を見つけたい。
意味があることに固執している自分がいたのです。
何が意味があって、何が意味がないと判断しているのか。
まずは意味を吟味する中で、
そこに隣接した世界が少しずつ浮かび上がってきました。
無意味とは?
今度は、いかに無意味を大事にするかに取り組むようになりました。
無意味という世界に出会えた。
意味に縛られていた自分の突破口を見つけた感じがしたのです。
その喜びで、今度は無意味ばかりを大事にするようになりました。
ある日、禅の師匠が
「無意味を求めていることは、同時に意味がある。その対立を離れたところにいけるといいですね」と言われました。
意味と無意味を離れる??
仕事と禅についてお伝えしているnoteを更新しました。今回のテーマは「非思量という禅 無意味と意味とは」です。
あなたの現状を突破するヒントになれば幸いです。よろしければ、見てやってください。