
昔は、仕事においても趣味においても
「手応え」という感覚を大事にしていたように思います。
手応えとは、努力、やりがい、成果・・・
逆にいえば、手応えがない仕事というのは
価値がないと思っていました。
しかし、面白いものですね。
手応えを求めるほど、何かが失われていくのです。
最近は、セッションでもセミナーでも
「手応えがない」ということを大事にしています。
手応えがないとは、「我」をいかに捨てるか。
ちなみに「我」とはみずからがやるということ。
みずからを手放すことで、おのずからという力が顕れてくる。
記事を書いている最中に、
道元さんの「身心脱落」という言葉が浮かんできました。
身心脱落というのは坐禅の時のありかたです。
「自分が坐禅する」という「我」を消していくか。
手応えがないというのは、
自分と相手という境界がなくなる瞬間でもあります。
そこに何かつながる点があるのではないか。