禅を仕事に活かす 「布施」とおせっかいの心 希望の光になる
人には与えるエネルギーと求めるエネルギーがあります。
皆さんは、どちらが強いでしょうか。
ちなみに、以前の私は、求めるエネルギーが強かったように思います。愛情が欲しい。承認は欲しい。お金が欲しい。
欲しいから頑張るという生き方でした。求める心はモチベーションの元にもなりますが、行き過ぎてくると、「足りない」ということになります。
愛が足りない。承認が足りない。お金が足りない。なんでもっと認めてくれないのだという不満になっていくのです。そして、人をうらやむようになります。
しかし、禅を学ぶようになり、少しだけ与えることができるようになりました。
というよりも、人というつながりの中で、自分も何かを与えているのだと知ったのです。与えるというと、どこか特別なような行為のように思いがちですが、実はご縁の中で、自然に与えているのです。
どこかで「自分なんか必要とされていないだろう。だから与える価値などない。」という考えが根底にあったのです。
自分に価値があるかないかは関係ないのです。これは自分にこだわっているだけ。人はつながりの中で、自然に与えて、与えられているのです。
鳥は空を命として生きています。空なくして鳥は生きられません。
魚は海を命として生きています。海なくして魚は生きられません。
では、人間はどうでしょうか?
人間は人を命として生きています。人なくして人間は生きられません。
しかし今、人とつながる機会が減っています。
今は、当たり前にいただいていた人とのご縁が減っています。普通にしていると、少しずつ心も身体も蝕まれていきます。今は非常時。これまで以上に、自らを整えることが必要なのです。
危機を感じたときは自分が試されているときです。
メールマガジンを月に4回配信していますが、間もなく300回を迎えようとしています。先日、ある方から「メルマガは多くの人がはじめるけど、一番大変なのは続けることです。書き続けられているのがすごいですね。」と言っていただきました。
なぜ書き続けられているのでしょうか。自分ではよく分かりません。
きっと、伝えたいことが溢れてくるのだと思います。もちろん手応えのある回もありますが、こんな内容をお伝えしていいのだろうかという回もあります。よく考えれば、まったくのおせっかいなのです。
人は、誰しも「おせっかい」という働きを持っています。与えたいという気持ちとも言えます。
私はもともとおせっかいというのが嫌いな人間でした。だから、頼まれない限りは人のことには干渉しない主義でした。自分が干渉されるのが嫌だったからです。
ただよく考えれば、メルマガもそうですが、コーチという仕事も、不要不急な仕事ではありません。何かお役に立てればとおせっかいでやっているのです。私の中にも、おせっかいな自分がいたことに気づかされました。
今こそ私たちの中にあるおせっかいを発動する時期ではないでしょうか。
私自身が感じた禅と日々の生活の気づきについてお伝えしているnoteの記事を更新しました。
今回のテーマは『禅を仕事に活かす 「布施」とおせっかいの心 希望の光になる』です。
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