禅を仕事に活かす 納得を求めるほど本当の納得はない
若いときはどんな無茶でも出来たという人がおられるますが、
私の場合、むしろ若いときは新たな一歩を踏み出すことが怖かったです。
何事にも慎重で、よく石橋を叩いて壊していました。
また、多くの人が選ぶ道から外れないように生きていたように思います。
それが35歳あたりから、かなり無茶をするようになりました。
今から思うとコーチとして独立したのが一つの転機だったかもしれません。
何が変わったのか?
以前は、納得してから行動していました。この納得というのがなかなかやっかいです。結局「納得」というのは、自分で出したい答えに持って行こうとする傾向があるからです。
問題は違っても、いつも同じような答えになっていくのです。
そもそも考えるというのは、自分の中の既存の枠に、自分自身をはめ込んでいく作業です。いかに上手くはめ込んでいけるかというのが、納得のプロセスでもあります。
では、納得を求めない生き方とは?
その答えは「体験」にあります。
考えるのではなく、体験の中に身を置くこと。
目に見えない世界に一歩踏み出し続けていること。
意味や原因を求めるのではなく、分からないまま、周りの環境とともに動き続けること。
最初、分からない世界に飛び込んだときは、とても怖い。どうなるのか不安でいっぱいです。しかし、以外に激流を泳げる自分に気づく。結果的に、案外上手くいくのです。
この案外上手くいくというのは、当初考えていていた結果とは、まったく違う場合が多々あります。事前に想定した通りに進めることは頭を固くします。一方で、体験の中に身を置くことが自然体という姿なのです。
ちなみに坐禅は、常に動き続けています。「納得」とは真逆のアプローチといえます。
不思議ですね。
大変ファーストで生きていると、数年後にあのとき分からなかった意味が分かるのです。本当の納得は忘れた頃にやってくるのです。
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