【失敗が怖いアスリート向け】受け入れる心のメンタルトレーニング(後編)

【失敗が怖いアスリート向け】受け入れる心のメンタルトレーニング(後編)

「結果を受け入れる」ことの大事さは、どのスポーツ選手も頭では分かっていると思います。ただ、試合でプレーに夢中になっている中で、思うようなプレーが出来なかったときに受け入れることは結構、難しいです。

実際には、腹が立ったり、なんであんなことをしたのだろうといつまでもクヨクヨしたり、原因を分析しようとしてさらに混乱したりします。そして、一つのミスを引きずっているときに、さらに大きなミスが起こります。

試合が終わって、なんであんなに一つのミスにこだわってしまったのだろうと後悔しても遅いのです。しかし、多くのアスリートが同じような心の流れを繰り返してしまいます。一生懸命にプレーしているだけではなかなか上手く切り替えられないからこそ、メンタルトレーニングが必要と言えます。

試合と練習が違う点は、試合は常に流れているという点です。自分の都合で試合の時間は止まってはくれません。頭でいろいろ考えているというのは、周りが流れている中で、自分だけが立ち止まっている状態と言えます。

ゾーンといわれる集中状態に入っているとき、「流れにのっている」という表現を選手達は使うことがあります。心理学では「フロー」と言ったりしますが、集中というのはまさに「流れている」のです。

試合の流れと自分の流れがぶつかっていると、ひとつのプレーには大きな重圧がかかるようになります。ゴルフでいえば、パッティングで身体を動かないので、無理に動かそうとしているとき。陸上でいえば、身体が重いという感覚のとき。野球でいえば、バットが自然に出てこないので力で振ろうとしている。あるいは、相手ピッチャーの球がいつもより速く見えるときなどでしょうか。

いかに流れを取り戻すか。そのために、起こることを受け入れるという心のあり方が大事になります。

ただ、「受け入れる心」には誤解があります。というのも、起こった後に結果を受け入れるだけではありません。プレーする前に、何が起こっても受け入れるという準備が出来ているか。

受け入れるというのは、プレー後だけではなく、プレー前にも必要なのです。プレー前に、どんな自分も受け止めてあげるという、野球のキャッチャーのようにドッシリと構えている自分がいるかどうか。

どんな暴投でも受け止めてくれるキャッチャーがいる選手は、安心して球を投げられます。キャッチャーがいない選手は、どこに球を投げればよいのか分からず不安になります。

少し禅的な表現で申し上げると、「受け入れる」というのは、川の上流でもあり、下流でもあるのです。下流があるから、川は自然に流れることが出来ます。

川が生まれたときに、下流と上流は同時に存在しているのです。これは、プレーする前にプレー後も知っているということ。上流と下流を同時に知っている心が、まさに受け入れる極意といえます。

話が少しマニアックになってきましたね。詳しくは、スポーツと禅についてお伝えしているnoteの記事をご覧ください。

 

今回のテーマは「失敗が怖いアスリートへ(後編) 安心感を生み出すメンタルトレーニング」です。

人の心の奥には、「大丈夫!!」という気持ちがあります。ただ、表面がザワついていると見えなくなります。いかに自分の中の「大丈夫」と繋がっていられるか。安心感は作るものではなく、もともとあるものなのです。

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