【スポーツに禅を活かす】子供の無心から大人の無心へのメンタルトレーニング 何もしないということをする(後編)

子供のときは、誰しもユニークな感性を持っています。スポーツにおいても、豊かな感性を発揮できているとき、プレーはイキイキと輝いています。 これは上手い下手ではありません。サッカーでいえばボールを蹴っているだけで楽しい。野球でいえば無心でバットを振っている。今日はどんなプレーが出来るのだろうという好奇心であふれているとき、なんにでもチャレンジできます。

これはスポーツに限りません。ギターを弾いているとき、絵を描いているとき、誰しも時間を忘れて没頭できていたときがあったのではないでしょうか。

しかし、どこかで思うような結果が出ないことが苦しみになってきます。練習のように身体が動かない。練習を重ねるほど下手になっているように感じる。自分より上手い選手に対して劣等感を感じる。勝負が怖くなってくる。 「自分らしいプレーとは」いう疑問が湧いてくるのです。

これは、子供プレーから大人のプレーへの転換期といえます。 一度怖さを体験すると、もう子供のときのようなプレーには戻れません。子供の時は柔らかい心でプレー出来ています。それが、少しずつ固くなっていくのです。

今、あなたのプレーは柔らかいですか。それとも固くなっているでしょうか。

誤解がないように申し上げると、固いから悪いのではありません。いかに大人のプレーをもう一度ゼロに戻って作っていくかです。

メンタルトレーニングの中で、どうすれば、「無心でプレーできますか」とアスリートから尋ねられることがよくあります。無心とはまさに柔らかい心のプレーです。 無心というのは子供の時のようなプレーに戻ることだと思っているアスリートもいます。子供のときできていたことが出来なくなったことに、葛藤を感じるプレーヤーも多いです。

子供のときの無心と大人の無心は違います。大人だから無心になれないのではありません。大人には、大人の無心になれるプレーがあります。

詳しくは、スポーツと禅についてお伝えしているnoteの記事をご覧ください。

今回のテーマは「【スポーツに禅を活かす】 何もしないということをする(後編)  禅語「柔軟心」のプレーとは」です。

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