自分との対話が上手くいっているときは、人生はスムースに流れているといえます。
一方で、なかなか思う通りにいかない、生き苦しさを感じているときというのは、自分との対話が上手くいっていないといえます。
先日、駅の中にある自転車の駐輪場を見たときにあることに気づきました。
入り口周辺は、沢山の自転車が置かれ雑然となっています。先に置いた自転車の後ろに新たな自転車が突っ込まれたりしています。中には、通行を邪魔しているものもありました。急いでいるときや余裕がないときには、少しでも歩く距離を短くしたくなるので人情です。そういう心がぶつかりあう場所が入り口です。見ていると少し苦しくなります。
一方で、少し奥にいくと、自転車は整然と置かれています。見ていると、気持ちよくなります。
その距離の違いは10メートル〜20メートルです。以前の私は入り口付近に置いていたので分かるのですが、この距離がなかなか難しい。歩けば10秒もかからないのですが、そのときは奥を見ることができていませんでした。
これは、私の心そのものです。
次の予定のことを考えていると奥が見えない。時間に焦って心に余裕がないと少しでも時間を短縮しようとする。これがぶつかり合うのが「入り口の対話」です。
入り口付近は、いろいろなものが混在していて、雑然としています。また、入り口の心は、早く答えを出そうとします。
入り口では自分との対話はスムースにはいきません。
面白いもので、入り口の対話ほど、よりよく生きようともがくのです。もっとよりよい何かを得るために、いい答えを早く出そうとします。
いかに10メートル奥までいけるか。10秒の余裕を持てるか。
たったこれだけのことですが、現代社会においてはなかなか難しいです。
それは、遠回りであり、余計な時間をかけることだからです。
対話で大事なことは、沈黙です。でも、一番難しいのが沈黙ではないでしょうか。
何も話さないという沈黙の時間は、何もしない時間と言えます。でも何かしていないと、何が起こるか分からない恐怖を感じる人も多いです。
大事なことは、何もしないという状態で10秒待てるかどうか。この10秒は普段忙しく仕事をしている人にとっては、1分以上、いや、時間で計れない「永遠に続くような長さ」に感じます。
実はこの何もしないという緊張感が、あなたを10メートル奥へと導いてくれます。
生き苦しさというテーマを大きく捉えすぎている場合があります。入り口で解決しようとするほど、さらに苦しくなります。
10メートル奥へと入るだけで、この世界の見え方は変わってきます。
詳しくは、仕事と禅についてお伝えしているnoteの記事をご覧ください。
今回のテーマは「一隅を照らす人でありたい 答えを求めない問いとは」です。