試練との付き合い方 「目覚め」へのターニングポイント
試練がやってきたときどうすればよいのか。コーチングのセッションでよく出てくるテーマです。
立ち向かい、乗り越えていくという人もいます。
一方で、逃げてしまいたいという人もいます。
これは試練に勝つか負けるかという視点です。
試練を分析し、どうにか答えを出そうというのが、通常のコーチングでのアプローチと言えます。これは試練への能動的態度です。
禅では試練を「ありのまま受け入れる」ことが修行です。これは試練への受動的態度といえます。
たとえば、試練に対して「どうしていいか分からない」という状態になります。
分からないから、どうにかして分かろうとするのが能動的アプローチ。
一方で、分からないという状態をそのまま受け入れていくのが受動的アプローチ。
誤解がないように申し上げておくと、能動的アプローチ、受動的アプローチのどちらが良い悪いではありません。
頑張って突破口を探す努力を重ねることで、少しずつ見えてくる地平があります。
一方で「分からない」を受け入れることで、「待つ」ことが出来るようになります。待つというのは、一見すると、何もしないということに見えるかもしれません。
実は、待つというのは、「ときの力」を借りている状態といえます。ときが分からないという状態を熟成させてくれるのです。
先日もある問題に対して、答えが出なかったのですが、分からないままにしておくことで、AかBかCという自分が考え出した選択肢ではない、まったく別の視点がやってきました。
でも、これは答えが出たのではないのです。結局は、分からないままなのです。
分からないのですが、スッと肩の力が抜けたという感じかもしれません。
はじめてプールに入ったときを想像してみてください。力が入っていると溺れます。力が抜けてくるとプカーっと浮きます。これが水に身を任せている状態です。
人は身を任せるのがとても怖い。未知のものは特に。そんなときコーチが側にいるだけで安心感が生まれます。
水に身を任せるというのは、まさに試練を受け入れ、試練に身を委ねるということです。試練という流れの中で力が抜けるには、「とき」が必要です。
そして力が抜けてくると、委ねるという感覚が生まれてきます。ここではじめて自然の流れを感じられるようになってきます。
水に抗っているか、水に身を任せているか。水への自分の態度次第で、水との関係性はまったく違います。これは試練への態度も同じではないでしょうか。
試練にもいろいろなアプローチがありますね。
生きることと禅についてお伝えしているnoteの記事を更新しました。
今回のテーマは『試練との付き合い方 「目覚め」へのターニングポイント』です。