「手応え」から「何もない」という生きるベースへ
私の場合、「コーチングとはなにか」ということを説明しようとするほど、怪しくなっていきます。
科学的根拠をもとに、分かりやすく適切な説明をできるコーチもいて、「なるほどなあ。」と感心させられます。
より高い目標の達成、目に見える結果など、仕事やスポーツおいて「手応え」を得たいというのは、「なにかある」世界へのアプローチといえます。
一方で、禅は不立文字といわれますが、まさに「なにもない」世界へのアプローチです。
言葉で説明しようとすると消えてしまう世界があるのです。見えないから生きることに無関係ではありません。
手応えをはじめ「なにかある」というのは、どこまでいっても部分的です。言葉にするほど周りと切れるのです。
「なにもない」というのは、すべてのものとつながっている全体性です。
言葉にすると、それは部分になる特性を持っています。
しかし、私は全体性を失わない表現もあると考えています。
「コーチング」というのは理論で説明出来ることもあります。一方で、コーチングのセッションでは、毎回まったく違うことが起こります。同じセッションはありません。コーチングというのは生きていると感じることがしばしば起こります。これは、コーチとクライアントによって生み出されるアートとも言えます。
仕事やスポーツに禅をいかすことをお伝えしているnoteの記事をアップしました。
今回のテーマは『人生が反転するとき3 「手応え」から「何もない」という生きるベースへ』です。