自分の言葉から自分ではない「nobody」の言葉へ

なんであんなことを言ってしまったのだろうと後悔することがあります。

あるときは、どういえばいいのか適切な言葉が浮かばず困ることもあります。

コーチングのクライアントさんからも仕事や家庭でもっと上手に伝えたいという悩みを聞くこともあります。

言葉というのは、足らなかったり、多すぎたりとなかなか難しいですね。

言葉をどう使うかというのは、生きる上で大事な訓練です。
そして、これは「自分の言葉」へのアプローチといえます。

禅の師匠である藤田一照老師は、LIFEには「生活」「人生」「いのち」の3つの層があると話されていました。そのうち「生活」と「人生」の層は「I am somebody.」であり、「いのち」の層は「I am nobody.」と翻訳されていました。

さきほどの言葉をどう使うかというのは、「somebodyの言葉」の領域です。

一方で、坐禅は「nobody」の修行と言えます。

「nobodyの言葉」があります。なにものでもないところから生まれてくる言葉があるのです。

どこからか風のようにやってくる言葉。自分は本心ではこんなことを思っていたのだと驚かされる言葉。

あなたは、自分の言葉ではないという経験をしたことがありませんか?

生きることと禅についてお伝えしているnoteの記事を更新しました。
今回のテーマは『自分の言葉から自分ではない「nobody」の言葉へ』です。

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