
今から8年前、藤田一照老師にはじめてお会いしたとき、この人から禅を学びたいと心から思いました。
そして、修行をさせていただく中で、尊敬の念は強くなっていきました。
しかし、数年前から、老師が怖いと思うようになりました。
何が怖いのか、正直よく分かりませんでした。この2年ほどは、話すこともできなくなっていました。
自分の何がダメなのか。自分の不甲斐なさが情けなくなりました。またこんなに頑張っているのに何で認めてくれないのか。師匠のことを責めたこともありました。
ただ、これはすべて表面的な現象です。
この苦しさを生み出している、私の中の奥深くにある「こだわり」「執着」はなんなのだろう。そんな問いをずっと持ち続けていました。
先日、藤田老師の勉強会に参加しているとき、師匠の姿がとても大きく見えていることに気づきました。他の参加者もいるのに、周りがまったく見えていないのです。
師匠だけが大きく見えている。これは私の意識が作り出した光景だったのです。
藤田一照老師は、ある場で「自分は、名前のように一隅を照らす人でありたい。」と言われていました。
しかし、勝手に私の方が、偉大な存在に祭り上げていたのだと思います。
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今回のテーマは、「怖いものは大きく見える 師匠が15分の1に見えたとき」です。