いのちの弾力とは 「私などない」からスタートしましょう

私たちはいろいろな言葉を使います。

酷いことを言ってしまったとき、なんて自分は性格が悪いのだろうと思ったりはしないでしょうか。あるいは、言葉に出さなくても、自分にとって都合の良いことばかりを考えていたりします。

以前は、こうした自分を嫌いでした。

しかし、禅を学ぶ中で、人は大きく分けて2つの言葉を持っているのではないかと考えるようになりました。

それは「私の言葉」と「わたしたちの言葉」です。

私の言葉というのは、「エゴ(自我)」から発せられる言葉です。エゴの働きというのは、周りと自分を区切り、「私」を守ろうとします。

もう一つの「わたしたちの言葉」というのは、周りとつながっている状態から顕れてくる言葉です。このとき、つながりの世界に向けて解き放たれて、「私」が消えていきます。

コーチングのセッションでは、クライアントさんの言葉は「私の言葉」からスタートします。普段の生活では、「自分の考えや意見」「なぜそう考えるのか」「どうするのか」といった主張をすることが求められるからです。

こういった自己主張は、社会では大事ですが、一方で「私」というエゴの働きは強くなっていきます。感受性の強い人は、「私」が強化されていくことに、違和感を覚えるのです。

コーチが話を聴く中で、次第に「わたしたち」というつながりが生まれはじめます。聴くという行為は、私とあなたという区切りを薄くする働きがあるのです。馴染むといってもいいかもしれません。

コーチとクライアントが馴染んでいくと、どこかで素直な気持ちが出てくるようになります。「わたしたちの言葉」というのは、自我が薄くなっているので、柔らかく優しいです。

わたしたちの言葉を発すると、身心がリラックスしていきます。クライアントさんがセッションが終わったとき、気持ちを出しきれてスッキリしたというのは、実は何を話したかよりも、「つながり」を体験しているからだと思います。

これはコーチも同じです。私もセッションを通して、つながりの働きの中にいるとき、自分でもビックリするような言葉を発しています(笑)

本来のナチュラルな姿というのは、「私(自我)」からスタートしているのではなく、「つながり」からはじまっていることを体験する瞬間です。

noteの記事をアップしました。

今回のテーマは、『いのちの弾力とは 「私などない」からスタートしましょう』です。

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ