頭の中にある「命」

最近、内山興正老師のお言葉をよく思い出します。

頭で作り出した世界には、自分が作り出した「幸せ」があります。だから「苦しみ」があります。

いのちから生まれるご縁の世界には、自分が求めていた「幸せ」はありません。

もう祈るしかないとき、願うしかないとき、幸せなど考えられません。でも、そのときあなたはいのちの中で生かされています。

きょう一日なんとか無事に終えられたことをありがたいと思えているとき、他には何もいらないでしょう。

これが「ただ今を懸命に生きる」ということではないでしょうか。

そのとき、人は静かに坐らざるを得ない。坐らなくてはいられない。

坐りたいでは坐れません。坐らなければいけないでも坐れません。

祈るしかない。願わなくてはいられない。坐らざるを得ない。

「○○しかない」「○○しなくてはいられない」「○○せざるを得ない」くらいの状況になってこそ、坐る準備が整ったということかもしれません。

坐禅は、もっとよい自分になるということではなく、本当の自分に還らざるを得ないという切なる願いではないでしょうか。

人には誰しも「するしかない」「せざるを得ない」ときがあります。

そのとき、頭では苦しいと感じるかもしれません。でも、そのときあなたは生かされているいのちを生きている瞬間なのです

 

仕事と禅についてお伝えしているnoteの記事を更新しました。
 
今回のテーマは「祈りと思いやり」です。
 

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