40歳からのアメリカ修行日記150 ゴールかと思ったらまだ入り口でした

今回のアメリカ滞在を終えて思うこと。

これまで6年あまり、アメリカに3ヶ月に一度やってきました。

当初は「アメリカへの挑戦」でしたが、途中から「アメリカでの修行」にタイトルも変えました。

挑戦とは、何かすごいことを成し遂げることを目指すこと。
私にとって修行とは、終わりなき出会いと探求の旅。

アメリカでの修行は苦難の連続。
まったく思い通りにならない苦しみの中で見えた一筋の光。

それが「ゼロの対話」でした。

アメリカで待ってくれている人がいるというのは、本当に嬉しい。
毎回くるたびに、対話を深めていきました。

でも、はじまりがあれば終わりもある。

この7月が一つの区切りかなと感じていました。

アメリカのパートナーにそのことを告げたところ、
「これからがはじまりじゃないの。今、種を蒔いたばかりでしょ。」と言われました。

作物を植えるにも、まずは土作りが大事。5年あまりをかけて、いい土を作ってきたのでないかと。そして、ようやくゼロの対話という土壌が出来た。そして、今種を蒔いたところだろうと。

種を蒔いても、水をやらなければ枯れてしまう。それでいいのかと。

その言葉には衝撃を受けました。終わりだと思っていたら、それは土作りの終わり。種を植えて育てるのはまさにこれからとは。

ようやく一つのゴールにたどり着いたかと思ったら、それはまだ入り口だった。キント雲で世界の果てを目指した孫悟空が、結局たどり着いたのは、お釈迦さまの手のひらの中だったという話が心に浮かびました。

これからがはじまりと思うと、確かにその通りかなとも思います。しかし、これまで以上の修行がまっているかと思うと、心が震えます。果たして私に耐えられるのかと。耐えられないのではないか。

妻からは「いよいよ腹をくくる時がきたのね」と言われました。他の人には、何か見えているのかもしれませんが、私にはまったく見えない。

今後については、まだ答えが見つかりません。いったん宿題として日本に持ち帰りたいと思います。

本当に何かにすがりたい気持ちですね。

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