40歳からのアメリカ修行日記151 意味があってもなくても10年坐る

アメリカに行きはじめて何年かなと手帳を見てみると、始まりが2013年でした。いつの間にか7年近くが経っていたのですね。

空港でフライトを待っている今の心境は、「期待もない。苦しみもない。」という感じでしょうか。

最初は期待からはじまりました。いろいろな出会いもあり、最初の2~3年は結構いい感じのスタートだったと思います。

それが、さまざまな挫折を経験する中で、苦しみに変わりました。5年ほど苦しみを味わう中で、少しずつ苦しみも変化していきました。

そして今回は、期待も苦しみもない。

透明な感じかもしれません。

外にあった苦しみが自分の中に溶け込んでいるような。

ちなみに今心配なのは、忘れ物がないかということでしょうか(笑)

そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいたら、禅の老師の言葉が浮かんできました。

「ただ10年坐りなさい」

老師がお寺の修行に入られたとき、師匠から言われたそうです。

そういえば、尊敬する大先輩も「10年やり続ければ、プロになれるよ。」と言われていたっけ。

石の上にも3年という言葉は好きですが、10年とはなかなか長い。

最近まで、意味のあることと意味のないことを分けて考えてきました。

意味のないことは極力排除し、意味のあることに注力してきました。

人の出会い、仕事の内容、時間の使い方…

しかし、意味のあることを求めるほど、どこか豊かさがなくなっていくのです。

アメリカではなぜか意味のないことばかりに出会います。
いつしかアメリカへの挑戦は、私にとっての修行になりました。

目指すものもないし、目指せるものもない。

ただ、ときの流れに翻弄されながら、自分に向き合う。

それでいいんじゃないか。

意味があろうが、なかろうがいいじゃないか。

何かに導かれて、ここまで生き続けられました。

意味があることを求めていたら、ここまで続けられなかったかもしれません。

許されるものなら10年行きつづけたい。

あと3年。

なんとか修行できますように。

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