メンタルトレーニングのコラムを連載中の週刊ゴルフダイジェスト第42号、今週のテーマは「見えていないものを意識する」です。

前回、このブログで「無重力」についてお伝えしましたが、人は真逆を意識することで、バランスがとれて、力みが自然に抜けます。今回お伝えするのは「見ているもの」「見えていないもの」です。

ゴルフで見ているものとは、クラブやボール、グリーンの旗、カップなどです。しかし、緊張した場面やショットのフィーリングがよくないときに、グリーンやカップが小さく見えた経験はありませんか。絶対にグリーンにのせたい、このパットは絶対に入れなければと考えると、普段とは違う見え方になります。これは見ることに偏っている状態といえます。目標という意識は、視野を狭めるのです。

人は見えるものに固執するように出来ています。一方禅では、見えるものにとらわれないことが修行です。アメリカで禅を布教されている老師は、その一つの工夫として、常に真逆の心を持っておくことが肝要と話されていました。苦しい時こそ真逆の選択を持つために、普段からメンタルトレーニングをしておくことが必要なのです。

一つ実験をしてみましょう。手を広げてみてください。そして、普通に手を見ます。まずは、その時の感覚を覚えておいてください。次に、手を広げたまま、指と指の間の空間をしばらく眺めてください。ただ、ぼんやりと眺めるだけでOKです。いかがですか?見え方は違いませんでしたか。この実験をすると、選手達からは「指の間を意識することで逆に手がくっきりと見えた」とか「手が立体的に見えた」「手がじんわり温かくなってきた」という感想をいただきます。私たちは無意識に形あるものを見ようとします。普段、指や手はみていても、その横にある空間はみていません。実は、私たちの見ているものは、ほんの一部なのです。

では、ゴルフにおける見えていないものとは何か。まずは、すぐ側にあるものを見ることからはじめましょう。パターの際は、カップではなく、カップの周りを見ることで、自然にカップが浮かび上がってきます。また周りのアンジュレーションが見えてきます。ティーショットでも、周りを見ることでフェアウェーが自然に見えてくる。狭いホールでここに打ちたいと緊張するときほど、その周辺に目を向けることで、力みが抜けて、体の感覚も研ぎ澄まされていきます。

禅の師匠である藤田一照老師は、いかに特定のものに偏らないで、見えているものすべてを均等に柔らかく受け取るかが大事だと話されていました。そのためには、見る対象だけではなく、見ている私たちの目を上手く活用する必要があります。

つい、見るという意識が高まると、眼球の表面で見がちなのです。皆さんもご存じの通り、眼球とはまさに字のごとく丸い球であり、眼防水という水の中に浮いています。目を閉じて、そっと眼球に手を当ててみると、立体的な目の存在が分かるはずです。目が疲れやすいという方は、プレーを待っている間に、しばらく手で眼球の存在を感じていると、目の緊張が取れてくるのでお勧めです。