あなたはゴルフでボールの前にアドレスした時、どこに心を置いていますか?
野球やテニスでボールを打つ前に、心をどこに置いていますか?

ひょっとしたら、この問いは抽象的で分かりにくいものかもしれません。

では、もう少し質問させてください。

あなたはボールを打とうとしていますか?

ゴルフやテニス、野球で、ボールを打つのは当たり前かもしれません。

では、ボールを打とうとし過ぎて、ぎこちなくなったことはありませんか?

これはプレーヤーなら誰もが経験していると思います。

ボールを打とうとし過ぎると、焦って打ち急いだり、
力んでリズムが狂ったりします。

打つことに固執すると、心の流れが止まり、
体のスムースな流れを妨げるのです。

大切なのは、心を止めてしまわず、
自由に流れている状態をいかに自分で作れるかです。

ゴルフや野球、テニスにおいては、
「球を打つことは、打たないこと」という意識の状態だと
私はとらえています。

これは「禅」の考え方からヒントを得たものです。

禅の究極の境地は「無心」。

さまざまな仏教書に「無心」について書かれていますが、
私が好きな表現は「無意識に意識すること」です。

この「無意識に意識する」ことをスポーツに当てはめると、
「打つことへの執着をなくし、打つことを意識すること」になります。

「禅」ならではの逆説的な表現です。
ただ、これは物事の真実を表しています。

鈴木大拙老師の『禅と日本文化』によると、
仏教における精神の発展には52の段階があり、
その1つを「止る」というそうです。
「止る」に至ると、人は一点に定着して、
自由に動くことができなくなるのです。

「なにをかなすという考えは、心をその一方面に向け、
他のすべての方面が等閑にされる。
心は一般に「止」まらせられたところに、停滞することを欲する。
心が一度、どこか身体の一部分に捕えられていると
新たに働く時は、その特定の場所から取り出して、
今要するところに持ってこなければならぬ。
この転換はじつに容易ならぬ仕事である。
心を働かすためには、どの地点にも、心をとどめるな。
これはしかし非常に鍛錬を要することである。」
(鈴木大拙著『禅と日本文化』より抜粋要約)

つまり、ボールを打つことだけに執着すると、
心が止まってしまい、体も動かなくなるのです。

テイクバックに意識がいけば、
そこだけが気になってしまい、
全体のことが見えなくなり、
結果として全体のバランスが崩れてしまいます。

よく私たちはレッスン書を読んで
自分のスイングを直そうとしますが、
このことを踏まえておかなければ、
心が一点ばかりに執着して全体のバランスを崩してしまい、
かえってスイングを悪化させてしまうのです。

そうやって結局スイングの修正を断念した経験は
みなさんあるのではないでしょうか。

打つ意識が強いのであれば、
まずは打たない意識を持つことで、
心が自由に動き始めるのです。