ゴルフや野球、あらゆるスポーツにおいて
実は私たちは打とうとし過ぎているのです。

テイクバックで打つことを意識しすぎてしまうと、
心も体も止まってしまい、
スムースな動きを妨げてしまいます。

そこで、「無心」になる、
または「打つことは打たないこと」という意識を持つことで、
心も体もバランスがとれて、
自由に動き始めるということは以前お伝えしました。

鈴木大拙老師の『禅と日本文化』では、
剣術の極意を次のように紹介しています。

「打つことは打つためと考えるものあり
されど打つは打つに非ず、斬るは斬るに非ず。」

剣術とゴルフは、心の在り方において通じていると思われます。

少し想像してみてください。
「打つことは打たないこと」

これを考えて、よくは分からないが少しでも心が軽くなったり、
自由に感じたのであれば、
打とうという意識が強すぎて心を止めていると言えます。

このことをプロに伝えると、
プロも調子がよい時は「打とうとしていない」のだそうです。
ターゲットにむけて勝手に体が動くのです。

一方で、調子が悪くなったときや、
苦手なクラブのときは、無理に打とうとして
さらに動きがぎこちなくなるのです。

私たちは打つことにこだわり過ぎているのです。

打つためにスイングを修正したり、
遠くにボールを飛ばしたくて
力んで思い切り振ろうとしたりする。
すべては「打つ」という側面です。

では、「打たない」とは何か?

アマチュアの方にも、
まず打とうとすることを止めてもらいます。

最初は、打たないのになぜ打てるのか?
打たないとボールが飛ばないのではないか?
早く打たないと・・・
強く打たないと・・・
さまざまな不安が襲ってきます。
さまざまな欲が打たないことを邪魔していることもあります。

大事なのは、ターゲットと弾道をイメージし、
そこに心も体も委ねることです。

なかなか説明するのが難しいのですが、
自分がすべてをコントールしようとするのではなく、
自然の流れに任せる感覚です。

「自分が打つぞ」ではなく、
ターゲットに自分の心と体とクラブを
導いてもらうと言ってもいいと思います。

そして、何度も打たないことに挑戦する中で、
すっと力が抜ける瞬間が訪れます。

打とうとする思いが抜けた瞬間、
体とクラブが自然に動き始めます。
打とうとする意識を捨てることで
心と体とクラブが調和し、自然に動き始めるのです。

多くのゴルファーが、
「かつて味わったことがない感覚」と表現されます。
これは、クラブも体も、今までにない自由な動きです。
そしてボールも、今までにない素直な弾道で飛んでいきます。

禅においても、
心がまわりの自然や原則と完全に共鳴することで
はじめて「無心」という心理状態に達することができるとされています。

「心理的にいえば、この心の状態は絶対受動のもので、
心が惜しみなく他の『力』に身をゆだねるのである。
この点で、人は意識に関するかぎりいわば自動人形になるのである。」
(鈴木大拙著 『禅と日本文化』より抜粋要約)

他のスポーツでも同じことが言えます。
例えば野球のバッティングでも、
打とう打とうと思えば思うほど、
体は動かなくなります。

打つことに意識しすぎるのではなくて、
ピッチャーの動きや呼吸に意識を向ける。
そして来る球に意識を向けていると、
自然にバットが出てくる瞬間があるのです。

これはいわゆる「ゾーン」であり、
心が静かに一点に集中できている状態です。

よく力を抜けという指導を聞きますが、
このことを理解せずに力を抜くと、
ただ振り遅れたり、軸がぶれたりします。

「打つことは打たないこと」という集中した状態を作ることで、
自然に体の力が抜けるのです。