空手の達人と言われる方にお会いする機会がありました。年齢は60歳くらいで多くの空手家から慕われている指導者です。若手へのメンタルトレーニングについて相談を受けてお会いすることになりました。

最初にお会いしたときに、「この方が達人??」と正直驚きました。普通の初老のおじさんなのです。まったく強さというか、オーラが出ていません。

これまでお会いした若手の空手家の方は、表情がナイフのように尖っていたり、全身から「覇気」が溢れている方ばかりでした。「強さ」という鎧をまとっている感じかもしれません。人を圧倒するエネルギーを出している方は、正直苦手です。

「先生はまったくオーラを感じないのですが、何か心がけているのですか?」と質問しました。

「若いときは、強くなることばかり考えていました。しかし、あるとき師匠から、『これからも空手を続けたいなら覇気を捨てなさい。』」と言われたそうです。

そのときは、師匠が言われていることがまったく分からなかったそうです。また、なぜ強さを求めてはいけないのかと反発心もありました。そして、自分が覇気を出していることにも気づいていなかったそうです。それから10年ほどたって、人より強くありたいという我で空手をやっていたことに気づいたそうです。

競技として空手を楽しむなら、技を練習すればいい。しかし、空手を極めていこうとすると、「人との勝ち負け」や「強くなりたい」という気持ちが邪魔するときがくるそうです。

スポーツとしての成長と、稽古として道を極めていくのは、似ているようで逆の方向かもしれないと話されていました。

禅を修行していると、いろいろな禅僧にお会いします。どこかギラギラしていて、禅はこうでなければならないという厳しさというか決めつけを感じる方もおられて、少し近寄りがたいです。

一方で、師匠もそうですが老師と呼ばれている方に出会うと、「自然体」というエネルギーを感じます。こちらが緊張しているので、何を言われても「すごい」と思ってしまうのですが、本人はいたって普通です。いろいろな執着を手放す中で、余計な力みが抜けてくると、自然体という姿が顕れてくるのだと思います。坐っておられても部屋に溶け込んでいるというか、周りとの境がないのです。風のように飄々としている感じかもしれません。

ゴルフでも、本当にすごいアマチュアゴルファーのゴルフというのは、禅僧のようです。そんなに飛ばすわけでもないのになぜかパーで上がってくる。そんなにショットやパターが調子がよくない日でも、上がってみると70台。良いときも喜びすぎず、悪い時は悪いなりにしのぐ。飄々とプレーされています。

実は、自然体でいるのが一番難しい。

スポーツ選手達とのメンタルトレーニングにおいては、覇気という方向に向かっていくのか、自然体という方向に向かっていくのかでは、目指す方向が変わってきます。

いきなり自然体になれません。まずは、「気合い」というエネルギーとどう付き合うか考えてみましょう。

多くのアスリートは、試合の時に「気合いを入れよう」とします。身体を動かしたり、顔を手で叩いたり、背中を誰かに叩いてもらったりして、心を奮い立たせようとします。

しかし、気合いとは入れようとしなくても入るものなのです。自然体に戻るには、むしろ気合いを抜くくらいが丁度よいのです。

週刊ゴルフダイジェストに連載中のメンタルトレーニングのコラム「禅の境地へ」第158回のテーマは「気合いはいれなくても入るもの。あえて抜くことを考えてみよう。」です。

ゴルフのラウンドは放っておいても気合いが入るものです。しかし、それでは力んだプレーになってしまいます。心が力んでいては、身体の力みは抜けません。大きなミスをして力みが抜けるのでは遅いのです。

気合いを抜くことで、力みを抜いていきましょう。