皆さんは、見えていることに取り組むのが好きですか?
それとも、見えないことに取り組むのが好きですか?
見えることとは、大体結果の予想がついたり、リスクが見えている状態です。
見えていると人は安心します。
しかし、見えることに偏ると、守りすぎるようになります。
安心にこだわると、冒険がなくなり、挑戦もなくなります。
結果的に楽しさやワクワク感が消えていきます。
一方で、見えないこととは、まったくどうなるか検討がつかないこと、どんな危険が潜んでいるか分からない。
見えないことには不安になりますが、その世界は「無限」です。
ただ見えないことに偏っていくと、足元が見えなくなります。
外ばかりに心がいって、自分自身が見えなくなるのです。
理想と現実のギャップが大きくなっていき、社会で生きるのが難しくなります。
見えるもの、見えないもの。
どちらも大事に出来るか。
禅では、見えないものをいかに感じるかを大事にしますが、
一方で「脚下照顧」といって、常に自分自身を省みるように戒めています。
自分の靴も揃えられない人には、ありのままの真理は見えてこないということでしょうか。
私自身、見えないことに挑戦するようになりました。
しかし、そういう時こそ、足元をしっかりと大事にする。
真っ暗で見えない道を進むときこそ、
今この瞬間、一歩一歩を踏みしめていく。
少し話がそれてしまいましたが、週刊ゴルフダイジェスト第31号、
メンタルトレーニングのコラム「禅の境地へ」第122回のテーマは
「見る練習と見ない練習 両方を大事にしよう」です。
ご興味のある方はぜひご覧くださいね。