40歳からのアメリカ挑戦日記132「沈黙の意味」

現代社会で生きる私たちが苦手なものの一つに、沈黙があります。
1人でいるときも、スマホを見たりゲームをしたりして、
何もしない時間を作りません。
他の人といるときも、シーンとならないように気を遣います。

なぜ、沈黙が避けられているのでしょうか。

沈黙には何もない。
沈黙は退屈。
沈黙は不快。
沈黙は会話力や相手への興味のなさ。

こう捉えられているのかもしれません。
または、単に沈黙が怖いという方もいらっしゃると思います。
だから、無意識のうちに、何かで埋めようとします。

では、沈黙には本当に何もないのでしょうか。

先日、アメリカで「ゼロの対話」を開催しました。
ゼロの対話とは、名前・肩書き・タスクがない、
ただの自分に戻り、湧き出てくる気持ちをただ表現する心の対話です。

ゼロの対話の中で、3分ほど沈黙が訪れました。
アメリカ人らしく普段はとてもよく話す人たちなので、
本人達も驚いていました。

ただ、後で聞くと、沈黙の間にすごく不快に感じた人も多かったです。
人は意味が分からないと不安になりますし、不快になります。

沈黙を不快に感じることが多い一方で、私たちが本当に
話したいことは、実は少ないのです。

普段は、表面に起こるさまざまな事柄について話して
いるので、話すことがたくさんあると勘違いしています。

でも、表面的なことをどれだけ話しても、一時的には落ち着く
かもしれませんが、心が安心することはありません。
だから、また同じような話をするのです。

人には本当に話したいことがあります。
でも、それは表には表れません。

本当に話したいことは、考えて見つけ出すというよりも、
考えることを鎮めると、湧き出てくるもののようにも思います。

そのためには、表面的な快適ゾーンからいったん不快ゾーンに
入る必要があります。

この不快ゾーンもいつまでも続きません。
やがて、快でも不快でもない、静けさが訪れます。

ただ、言葉では簡単なように思えても、不快ゾーンは
出口が見えないし、答えが見つからず、
なかなか手強いし苦しい。

そこで大事になるのが、沈黙なのです。
坐禅(瞑想)をして、自分の心に沈黙を作ることで、
自然に深まっていきます。
沈黙には何もないからいいのです。

「ネガティブケイパビリティ(不快に耐える力)」という
言葉があります。
これは、不快ゾーンにとどまる力のことです。

私は『地獄の黙示録』が大好きで、何回も見ています。
フランシス・フォード・コッポラ監督の代表作で、
ファンの方も多いと思います。

実はこの映画、キャスティング面でのトラブルが相次ぎ、
スケジュールが遅延。撮影はなんと17週間の予定が
61週間にも延び、編集にも2年余りの時間が掛けられました。

映画の完成が遅れるに伴って、映画の制作費も、
当初の予定の3倍に膨らみ、遂にはコッポラ監督が心労で
倒れてしまったそうです。

奥様のエレノアさんが当時のコッポラ監督について、
「地獄を通過しないと見えてこないものがある」と
振り返っていたのが印象的でした。

ここまではなかなか出来ませんが、本当に大事なものを
見つけるには、時として時間がかかるかもしれません。

沈黙の時間を「落ちるエネルギー」という表現をされた
参加者もいました。

頑張っている人ほど、上がるエネルギーが好きです。
何かを達成する。目的にむけて邁進する。
とにかく右肩上がりの人生を目指していきます。

一方で、落ちるエネルギーもあります。
落ちるエネルギーとは、深まり、安心、沈黙などです。

落ちると聞くと抵抗を感じる方も多いようでが、
人のエネルギーは、上がったり下がったりするのが自然。

自然に落ちることが出来るようになると、
無理に頑張らなくても自然に上がっていきます。

沈黙とは、何もない静かな時間。
沈黙とは、自分を大事にする時間ともいえます。

携帯も触らず、タスクもない、1人の時間。
公園でぼーっと過ごすのもいいですし、お気に入りのカフェで
お茶するのもいいですよね。

禅の師匠である藤田一照老師は、
忙しさの中に「ポーズ(一時休止)」をいれることが大事と
語っていらっしゃいました。

忙しさの連鎖に句読点を入れるつもりで、
ほんのちょっと仕事以外のことをとりあえずやってみる。
コーヒーを飲んで一休みする。
まさに一服ですね。

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