最近、ボディーワーカーの小笠原和葉さんの講座を受講しています。

私はコーチとして、「わたし」という課題について、
「脳」と「心」という側面からアプローチしてきました。
以前は、それがもっとも効果のある方法だと考えていました。

ところが、スポーツ、ビジネスなど、さまざまな課題に出会う中で、
頭と心だけでのアプローチに限界を感じることが増えていました。
そんなとき、数年前から本格的に坐禅を学ぶ中で、
「カラダ」の大事さを知りました。

心や脳と「カラダ」を上手くつなげることで、
「わたし」にハーモニーが生まれます。
「カラダ」と心や脳がうまくつながらないと、喧嘩になってしまいます。

「カラダ」は「わたし」の土台。
「カラダ」は安心感を生み出すのです。
土台の安心感がなければ、どんなに脳で積み上げても
崩れてしまいます。

「わたし」という課題を解き明かすべく、日々、試行錯誤を
続けている中で、禅の師匠である藤田一照さんのご縁で、
小笠原和葉さんに出会いました。

普段付き合っていて、なんとなく直感的に分かってはいても、
あまりにも経験的すぎて、よくわからない「カラダ」。
身近ですが、「カラダ」の声を上手く言葉で説明できません。

私たちは、目に見えないもの、説明できないものを
アヤシイと感じます。

和葉さんの講座では、それを承知の上で、うまく理論を交えながら
カラダやココロ、エネルギーなどについて説明してくださるので、
頭でも納得しながら吸収していけます。

アヤシイと言われがちなことも科学的に捉えていらっしゃる和葉さんは、
宇宙開発に携わるバリバリの理系エンジニアだったそうです。

これまで、ヨガや他のボディーワークをしている方の講座を
受けたこともありますが、私のような左脳的な人間には
少し体験的すぎて、なかなか馴染めませんでした。

もちろん、右脳的に体験から気づきを得ることは大事です。
ただあまりにも体験的すぎると、人によっては分からなさすぎて、
安心感がなくなるのです。

コーチングでも、適度な情報があると、素直に体験に
身をゆだねやすくなります。

「理論」と「体験」のどちらがいい、悪いということではありません。
真逆のアプローチだけに、どう上手くミックスするかが大事だと思います。
登り口は違っても、結局同じ場所にたどり着くような気がしています。

和葉さんの講座の中で、目を閉じて部屋のなかにあった緑のモノを
イメージするワークがありました。
目を開けると、緑が鮮明に目に飛び込んできます。

このように人は、イメージしたものが見えるように出来ているそうです。

今、白いものをイメージしてみてください。
30秒ほどイメージしたら、目を開けてみましょう。
何が見えるでしょうか。

そういえば、以前読んだ、ある広告業界の方の本に、
アイデアに行き詰まったときには、さまざまな色を
イメージしながら町を歩いてみるという、
創造的なアイデアを生み出す工夫が書かれていました。

色をイメージしながら歩くと、普段とは違ったモノが見えてくる
ということです。

下世話な話で恐縮ですが、私は、好みの女性につい目が行ってしまいます。
不思議なことですが、同じようなタイプの女性ばかりが目に飛び込んで
くるのです。

私たちは普段から頭の中で、心惹かれるモノをイメージしています。
「焼き肉を食べたいな」と肉が焼けるイメージをしていると、
つい焼き肉店に目が行く。

テレビで美味しいお肉の特集を見た後であれば、さらにお肉が
無性に欲しくなるのも、イメージが強化された結果と言えます。

私たちは、何かを見る前に、すでにイメージを持っているのです。
そのイメージに沿って、「見たいモノだけを見る」というのが
私たちの目の特徴です。

ということは、見ているようでも、実は見えていないものが
圧倒的に多いということ。

もう一つの特徴は、すでに持っているイメージに従って見ている
ので、「見たいように見ている」ということになります。

私たちの目は「見たいモノだけ見ている」「見たいようにみている」

景色だけではなく、相手の言葉も、音も、匂いも。手や足などの
カラダの感覚も、無意識のうちに選別しているという事実。
固定概念に囚われてしまうという事実。

これが良い、悪いということではありません。
この事実を知っていると、迷ったときの対応が変わってきます。

私の場合は、悩んだときには自分の直感だけに頼りすぎるのではなく、
他の人の意見を聞いてみるようにしています。

他の見方をしている人たちから聞くことで、新たな視点が
生まれますし、さまざまな気づきがあります。

また坐禅をやっていると、イメージというフィルターを通らず、
素の状態で見られる瞬間があります。

私の場合、ほんの一瞬ですが、色も音も新鮮で、
明暗もはっきりしているように感じます。

ありのままをありのままに見るというのは難しいですが、
取り組み甲斐のあるテーマではないでしょうか。