ドライバーでミスしたとき、なぜミスしたのか考えると思います。打ち急いだ。力んだ。いろいろな理由が考えられます。

皆さんもいろいろミスの原因や理由を分析されるのではないでしょうか。失敗の原因を特定して次に生かす。これは一般的なゴルフ上達への道とされています。

では、それ以外に道はないのでしょうか。禅×メンタルトレーニングにおいては、別の道があります。

ミスを考える上で大事なポイントがあります。それは、ミスすることを恐れていないかということです。

ミスは本当にミスなのでしょうか。私はそうは思いません。少なくともどの競技でも、トップで活躍できる選手達には、ミスという概念はありません。

では、ミスではなくて何なのでしょうか。それは、すべて体験です。

ここで大事なことは、よく指導者が「成功も失敗もない。すべては体験だと思え。」という根性論をかざしているのではありません。何かの考えを別の考えで強制的に塗りつぶそうとしても、それは無理です。メッキはどれかけ塗ってもどこかで剥がれ落ちるのです。

ただ、特に日本では「ミス」を極端に恐れる傾向が強いです。それは、子供のことから、これは失敗だ。なぜ失敗したのか。どうすれば失敗しないか。という考え方を先生や指導者から何度も聞かされていることも起因しています。

ミスというのは概念でプレーを捉えている状態と言えます。そうではなく、自然に「体験」という感覚を持てるようになるか。「禅」とはすべて体験であり、スポーツに役立つ多くのヒントを与えてくれています。

バンカーに入る。池に入る。OBになる。3パットする。確かにこれはスコアを考える上では、上手く行かなかった体験です。しかし、これをミスとして捉えると、ミスを恐れるようになります。

恐れというのは、何か悪いことを予想して、そうならないようにするという働きです。恐れは良い悪いではなく、自分を危機から守ろうとする働きです。ただ恐れが増幅してくると、どこかでミスを恐れてミスをするようになるのです。これはスポーツにおいて、プレーを小さくしていきます。

「心身脱落」という禅語があります。禅の師匠の老師は、「どうせすべてのことは自分の思い通りになることではない。自分を投げ出しなさい。ゆきつくところにゆきつきます。」と説かれました。自分という我を捨てることで、自分を引っ張ってくれている力の存在に気づくことと言えるかもしれません。

ゾーンに入った経験は皆さんも一度や二度はあると思います。ゾーンはスポーツだけではなく、仕事や日常の中で起こっています。なかなか言葉にするのは難しいですが共通しているのは、「気がつけば記録が出ていた」「何か大きな力が働いていた」「自分という存在が消えて、何か流れに乗っているような感覚だった」という感覚です。この状態では、「ミス」という概念は消えていたはずです。

「ミス」を恐れていると、ミスに囚われたミスが起きます。まずは、その大前提である「ミスしてはいけない」という考え。さらにその源流である「これはミスだ」というジャッジを消していけるか。

これは頭で考えても解ける問いではありません。いかに身体の叡智に気づくことができるか。

週刊ゴルフダイジェストに連載中のメンタルトレーニングのコラム「禅の境地へ」第161回のテーマは『「みずから」と「おのずから」 ヘッドスピードは「上げる」ものではなく、「上がる」もの」です。

人の心は正しい、間違いというジャッジに溢れています。いかにこうしたジャッジから自由になっていくか。

ご興味のある方はぜひご覧下さい。