メンタルトレーニングと禅「余分な力みとただの心」

先日、友人とお茶していたときのこと。

長年の友人なのですが、なかなか話がかみ合いません。
この日はいつもにも増して独りよがりに話しているのに、
少しカチンときました。

そんなことを考えながら、話をしていたところ、
あることに気づきました。

この人は、相手に分かってもらおうと思っていないんだ。
だから、言葉に気を遣わないんだ。

本人に聞いたところ、その通りでした。
それを理解したときに、感じるままに生きている友人が
うらやましくなりました。

というのも、私は話しているときに、相手に理解してもらう
ということに、少し固執していたように思うのです。
理解し合うことを大事にするあまり、理解してもらおうとしない
発言や行動が許せなくなっていたのです。

人への配慮は大事ですが、時として無理をしているかもしれません。
分かりあいたいという気持ちは、自然なものですが、
分かり合うための配慮は、だんだん余分な「頭の力み」に
なっていきます。
私はどちらかというと、力みが増す方です。

この力みも社会で生きている限り、必要です。
適度な緊張感がないと、いきなり沸騰しているお茶を飲むようなもの。
熱すぎてやけどしてしまいます。

一方で、頭の力みが強ぎると、せっかくのお茶の温かさを
感じることは出来ません。
いいあんばいの温かさを感じられるといいですね。

今、アメリカで開催する、新しい英語でのメンタルトレーニングセミナーを作っています。
今回のテーマは「エゴ」。
なかなか難しいテーマです。

エゴについての詳しい話は、また次回にしたいと思いますが、
セミナーを作っていて思うのは、気がつかないうちに
頭が力んでくるということです。

理解してもらおうと思うあまり、説明を加えすぎたり、
説得しようとしたり、上手に表現しようとしすぎたり。
エゴを扱っていて、気がつくと、エゴで考えているのです。

力みを抜くために大事にしていることは、ただ対話すること。
考えて悩んだら、話してみる。
そして、率直な意見を聴いてみる。

これを何度も繰り返すことで、少しずつ力みが
抜けていくように思います。
ちなみに、今回は拍子抜けするくらい力みが抜けた
メンタルトレーニングセミナーにしてみようと思っています。

まずは自分の頭の「力み」に気づくこと。
そのために、「ただの心」を大事にしています。

ちなみに坐禅とは、師匠によると、「ただ坐る」こと。
ただ坐るとは、坐ることで何かを得ようと思ったりしない、
上手くいかないことを評価しない、直そうとしたりしない
ということです。

私自身、「ただの心」を日常生活でも大事にすることで、
余分な力みが大分減ってきたように思います。

ただ食べる。
ただ原稿を書く。
ただ伝える。
ただセミナーを作る。

こう意識することで、心がシンプルになっていきます。

皆さんも何かに力んだら、「ただの心」を意識してみてくださいね。

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