メンタルトレーニングと禅「身体なり」「心なり」に坐る

先日、超初心者のための禅入門講座の第2回を開催しました。
今回からボディーワーカーの川田行美さんに加わっていただき、
ボディーワークをしていただきました。

坐禅は心の修行と捉えられがちですが、実は身体の修行です。

ブッダがもっとも興味を持ったのも、自分自身の心と身体でした。

禅の師匠、藤田一照老師も、身体について、整体、武道、
解剖学、ボディーワーク、ヨガなどさまざまな視点から
坐禅に活かせるものを研究されています。

またある老師は、「普段私たちは首から上(思考)で生きている。
坐禅を組んで、はじめて首から下の自分がいることを知った。」
それが修行の始まりだったと話されていました。

私もメンタルトレーニングをやっていて、心だけでは
心にアプローチできないと考えています。

西洋式の心理学をベースにしたメンタルトレーニングでは、
脳の使い方、心のあり方などを中心に指導していきます。

現代の私たちは、脳を使うことに偏っています。
戦略、目的、マネジメント、すべて脳からのアプローチばかりです。

ところが、お気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、
脳だけ使い方を発達させても、限界があるのです。

禅に取り組む中で、仕事でもスポーツでも、
心からのアプローチと身体からのアプローチを組み合わせるのが鍵
だと考えるようになりました。

今回のボディーワークのテーマは「力みに気づく」です。

ワークを終えて、参加者の皆さんから、

・気持ちよかった
・肩のコリが楽になった
・いかに自分が普段力んでいるかに気づいた
・鼻炎が途中ですっきりしてきて驚いた
・途中で正しい姿勢を考えてしまったが、出来ないので途中で諦めた

といった感想が出ていました。

私は、今までヨガを含め、ボディーワークに参加しても、
気持ちよいという体験をしたことがありません。

振り返れば、子どもの時から、体が思うように動かないことが
嫌で仕方がありませんでした。
動かそうと思うほど、身体が重くなるし、苦しくなるのです。

川田さんによると、ボディーワークの間ずっと私の表情が
険しかったそうです。
私は、川田さんのインストラクションに従って身体を動かして、
川田さんと同じポーズをしようと、ただ必死でした。
痛いのを我慢するか上手く出来ないことばかりに目がいくか、
そんな感じでした。

ヨガにも身体を激しく使うものから、内面を静かに見ていくものまで
色々あるそうです。
川田さんは、緩みすぎず、苦しすぎず、身体の声を聴きながら、
いい塩梅を探すことを大事にされているということでした。

ボディーワークでのポーズ(形)についても、真似しようとしすぎず、
自分なりに楽なように変えていけばいい。

驚いたことに他の参加者は、自分なりにやっていたそうです。
それを聞いて、私は理想の形をもとめて、身体をむりやり
それに合わせていたことに気づきました。

ワークの時だけではなく、子どもの頃から、
そういう思考で身体を動かしてきたように思います。

そこで私の中に浮かんできたのは、「身体なり」にやるということ。
身体の声を聴きながら、無理せずやる。
「自分なり」にやる。

自分の身体と一緒にいることから始めようと思います。

このように話していて、先日のプールを思い出しました。

今までは、ゆっくり力を抜いて泳ごうとしても、
つい力が入ってしまっていました。
最初から泳ごう、泳ごうとしていたので余分に力み、
水の抵抗を感じて疲れてしまっていたのです。

ところが先日、力さえ抜けば身体が浮かぶ
ということに気づきました。

まず力を抜いて自然に浮かぶ。
これが分かったことで、泳ぐのがすごく楽になり、
はじめて気持ちよさを感じました。

最後の坐禅では、「身体なり」を意識することで、普段より
少し体のあり方を受け入れられた自分がいました。

坐ることが少しだけ進化したように思います。

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