皆さん、「円相」をご存知ですか?
言葉はよく知らなくても、円を一筆で書いた絵を
どこかで見たことがある方はいらっしゃると思います。

「円相」とは、禅における書画の一つです。
悟りや真理、宇宙全体などを円形で象徴的に
表現したものとされています。

「円窓」と書いて、「己の心をうつす窓」という
意味で用いられることもありますが、基本的に
解釈は見る人に任されています。

茶道をしていると、「円相」の画を見かけることがあります。
先日ある茶席でも「円相」がお床に飾られていました。
何気なしに目をやっていると、
ふと、人の成長と円相がまさにつながっていることに気づきました。

皆さんは、成長をどのようにイメージしますか?

例えば、右肩上がりに上がっていくイメージ。
上がったり下がったりしながら、徐々に上がっていくイメージ。
または螺旋階段のように登っていく感じかもしれません。
人によって、色々なイメージがあると思います。

いずれにしても、前進する、進む、上がっていくという感じではないでしょうか。

私は、「進む」ことは「戻る」ことだと考えています。

進むことは戻る?
よく分からないかもしれませんね。

「初心に戻る」という言葉があります。
ビギナーズマインドとも言いますが、
禅では非常に大切にしている考え方です。

禅をアメリカで普及することに生涯をささげ、
人種を問わず、多くの人たちに慕われた鈴木俊隆老師は、
「初心者の心には、多くの可能性が溢れているが、
熟練者の心にはそれが少ない。」
と著書の中で述べています。

人は、学ぶ努力をする中で、様々な情報を得ます。
それはやがて固定概念や先入観になっていきます。

ましてや先生などと呼ばれるようになると、
まったく聞く耳を持たなかったり、自分勝手に解釈したりして、
人にも出会うものにも素直さを失ってしまうのです。
そのとき、残念ながら、人の成長が止まってしまうのです。

初心者の心を持ち続けるには、トレーニングが必要です。
なぜなら私たちは、熟練の心になる方が簡単だからです。
つい、わかったような気になってしまう。
人に勝ったような気になる。
人の話を聞かなくなる。

だからこそ、私たちが成長し続けるためには、
いつも原点に立ち戻ることが必要なのです。
いつかではなく、日々、そしていつもです。

人に会うとき、本を読むとき、考えるとき、
仕事をしているとき、プレーしているとき、
すべての瞬間、初心者の心を持つのです。

そして、円相の最後は必ず原点に戻ります。
戻らずして、円相は終わりません。

プロのスポーツ選手にトレーニングをしていると、
「今すごくいい感覚なんですが、実はこれって中学生のときの感覚です。
今、あのときの感覚を思い出しました。
もともと自分は素晴らしい感覚を持っていたんですね。
色々試してみましたが、やはり最後は自分自身に戻るんですね。」

また、ある経営者は、
「ずっと自分は前に向かって成長していると思っていたのですが、
実は最近、自分の原点に戻っている気がします。
本来、自分が持っている魂を磨いている感じかもしれません。」
とご自身の成長を話していました。

成長とは、どこかに向かっていくのではなく、
生まれたときの輝きに戻るということ。
実は、出発点に戻っていくことなのです。

だから、達人の領域になるほど、
技を身に着けるという感覚ではなくて、
身に着けたものをそぎ落とす、磨くという心の作業を大事にします。

私たちはつい「得る」ことを求めます。
これは自然なことですが、得ることを求めていると、「もっともっと欲しい」「得ないと満足できない」という飢餓の心になっていきます。

そうではなく、「もともとあるものに気づく」という心。
すごく地味ですが、あるものを見失わないということが、
実は「得る」前の、もっと基本的な心であるように思います。

何か抽象的になってしまいましたが、
ぜひ「進むことは戻ること」という感覚を大事にしてみてください。