40歳からのアメリカ挑戦日記91 ノータスクでやってみる

今回のアメリカ出張では、一つ心掛けていたことがあります。
それは、「ノータスク」ということです。

ノータスク?と思われた方もいらっしゃると思います。

私にとってのタスクとは、
ビジネスの成長、アメリカでのビジネスについての戦略、計画、
目標、セミナーへの集客、成果につながる出会い、収益を上げる
などの成功を意味しています。

アメリカ挑戦は時間がかかることを覚悟していますし、
5年単位で考えています。
なので、「速くタスクを達成したい」という焦りは減りましたが、
まだまだ上に挙げたようなタスク意識が残っていました。

ノータスクというのは、目標もないということ。
結果を求める心を捨てるということです。

目標がないというのは、ビジネスではあり得ないのはないか
というご意見もあると思います。

もちろん目標やタスクが必要なケースもあると思います。
しかし、私たちはタスクにあまりに偏っていないでしょうか。
タスクがない、目標がない挑戦もあるのです。

たとえば、山を登るときに、痩せたい、体力をつけたい、
早く登りたいというのはタスクをもっている状態。
頑張って頭を使って登っているのです。

これでは、本当の自然を感じることは出来ません。
タスクがあると、今この瞬間の感覚が薄まってしまうのです。

私たちは、現代社会でタスクをもって生きることが
当たり前になってはいないでしょうか。

仕事だけではなく、趣味も、家庭も、
どこかで「何かをしなければならない」という気持ちに囚われて、
タスクがなければ不安になるように思います。
タスクは見えない鎧になります。

ちなみに、個人セッションやセミナーでも、
これまで私はタスクを持ってやってきました。

もちろん、これまでの経験からジャッジを手放して、
クライアントの話をニュートラルに聴くことは出来ていたと思います。

ただ、「何か気づきを得てほしい」、
「問題を発見しよう」という気持ちがあり、
どこかで「いいコーチでありたい」と思っていました。

こういったタスクを手放し、ノータスクにすることで、
さらに肩の力が抜けたのです。

私がタスクという鎧を脱ぐことで、
クライアントさんもタスクという鎧が外せる
ということが分かってきました。

タスクは気合とも言えます。
気合は時に、無言の押し付けになってしまいます。

私がノータスクになってはじめて、相手も鎧を外して
自分自身を楽に自然に見つめることが出来ます。

言い換えると、ノータスクとは、坐禅の心です。
坐禅の教えの「只管打坐」とは、ただ坐ることです。
目的意識を持つと、それは別のものになってしまいます。

ノータスクでただ坐っていると、
今この瞬間に心が合ってきます。
そこに体験でしか分からない、心の豊かさが広がります。

今回の参加者も、私自身がタスクという鎧を脱ぐことで、
肩の力が抜けて、新たな発見をしていらっしゃいました。

アメリカのパートナーが、
「タスクを外すというのは達人の領域ではないですか。
合気道でも柔道でも、達人になると余分な力が抜けて
自在に動けるようになる。
まさに守・破・離の「離」の領域ではないでしょうか」
と言いました。

確かに最初は、型を作るために、
懸命に「守」をやっていたと思います。

まだ達人の域には程遠いですが、また一つ余分な力が
自然に抜けたのではないかと思います。

仕事や人生がノータスクでできるようになるといいですよね。
皆さんも取り入れてみたら、いかがでしょうか。

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ