今回も、ロサンゼルスにある曹洞宗のお寺、禅宗寺の小島ご住職から禅のご指導をいただきました。

3ヶ月に一度アメリカに行くたびに、有志を募って、坐禅の勉強会を開催していますが、今回はいろいろな禅語をご紹介してくださいました。

私自身が一番心に残ったのは、「而今現成(にこんげんせい)」

今この瞬間にすべてが顕れているという意味です。

禅を実践するようになり、最近、少しだけですが「今この瞬間」がしなやかになってきたように感じます。いろいろな自分がそこに存在しているというか。多層的になってきたというか。

禅では、「とき」に関する教えが多いことに気づきました。

坐禅とはただ今を感じること。

日々の生き方。

生まれること、死にゆくこと。

生きるとは出来事ばかりのように思っていましたが、存在そのものが「とき」なのかなとふと思いました。

「とき」という感覚は、短くもなるし長くもなる。
充実も感じるし、空しさも感じる。

時間を感じることは存在しているということ。
まさに自分次第なのかと思います。

いかに、今この瞬間に対応していくか。
禅はさまざまな工夫を教えてくれています。

また小島先生からは、存在の価値観と社会の価値観という教えもいただきました。

社会の価値観とは、比べる価値観であり、区別する価値観。たとえば1ドルと100ドルの価値の違い。早いか遅いか。

一方で、存在の価値観とは、あるという価値。大統領がどんなにすごい地位だとしても代わりがききます。しかし、親には代わりがききません。マグカップでも、長年使い込んだカップに愛着が湧いてくる。

どちらが良い悪いということではなく、私たちはどちらの価値観も持っています。

他の参加者もそれぞれ心に残った禅語があったようでした。

心惹かれる言葉は大事ですね。

回を重ねる中で、参加者からの質問も活発になってきました。双方向なやりとりはいいですね。小島ご住職もいろいろな質問をされて嬉しそうでした。おかげさまで、かけがえのない「とき」を味わうことができました。本当にありがたいですね。